[論理療法]松屋の納豆定食
松屋で350円の納豆定食を食べる。
もともとがあまり大食いではないので、全部食べきれない。
しかし、全部食べねばならないという思い込みから、いつも食後には胃がもたれて気分が悪くなり、消化薬を飲むことになる。
結果、食後は暫く気分が悪くなり、食べ過ぎによる健康への不安も増している。
今回のイラショナルビリーフ
「食事は完食しなければならない」
何故その様な思い込みがあるのか、納豆定食を食べながら考えてみた。
すると子どもの頃、家や学校の躾で食べ物を残してはいけないと教えられ、食べ物を残す事に罪悪感を抱いていたからだと気付いた。
それは食べ物を粗末にしてはいけないという道徳だ。それは正しいと思う。
しかし、私は別に納豆定食を足で踏んづけたり、ご飯を丸めてキャッチボールをして遊んでいる訳では無い。私は食べ物を粗末にはしてはいないと論理的に判断した。
むしろ最近では食べ過ぎによる健康への害の方が問題になっている。事実私は最近カロリー摂取をし過ぎており、自分の健康の事を考えると残した方が良いと論理的に判断した。
松屋側からしてみればどうだろう。
食べ物を残されると、確かに処理が多少面倒ではあるだろう。
しかし私はお金を払って松屋で食事をしており、そのお金は食材費だけではなく残飯処理などの作業に関しても入っている筈だ。
頼んでおいて全く手を付けずに店を出るなど常識を越えない限り、多少残しても問題は無いと論理的に判断した。
ABC理論まとめ
A(出来事)松屋の納豆定食の量が多い
B(信念、固定観念)食事は完食しなければならない
C(結果)食べ過ぎで気分が悪くなり、健康被害への不安が増す。
「食事は完食しなければならない」というイラショナルビリーフを、「食事は多少残しても問題ない」というラショナルビリーフに書き換えた。
すると結果のCは以下のように変わった。
C(結果)私は腹八分目にして食事を残し、いつもの胃の不快感や、健康への不安が軽減された。